季節は小雪を過ぎて…

雨が上がって良い天気になってきた。気持ちいいけど、すっかり冬だなあ。(-_-;)

公園の晩秋

今日は高円寺の阿波踊り

私は、広い表通りの会場より、裏通りの狭い場所での踊りが好き。
見ていてくづく思うのは、日本人はバカが好き。(^o^)わははは…
無駄なエネルギーで、街中が大騒ぎだ。
この馬鹿騒ぎか、20時の終了時間でクライマックスに達して、ピタリと止まる。
とたんに平常に戻れるのが、これが実に日本人だね。(^o^)わははは…

高円寺の阿波踊り

火焔土器@國學院大學博物館

 「火焔型土器のデザインと機能」と題する展示会(無料(^^)v)が國學院大學博物館で2月5日まで開かれているので観に行った。
 火焔型土器を以前じっくり見たのは、十日町市博物館で、十日町には名物のへぎ蕎麦を食べに行ったのだが、現地で博物館の存在に気がついて観に行って、国宝の火焔型土器群に圧倒されてしまった。関東では縄文土器というと、縄目模様の実用的でシンプル・素朴なものを考えるのだが、この火焔型土器は全く違っている。
 写真は、新潟県長岡市の馬高遺跡で発掘された今回の展示品で、それまで破片しか出なかったこの種の土器が初めて完品で出土した品であり、これが愛称として「火焔土器」と呼ばれた。つまりこれが火焔「型」土器の発見第一号の品である。

火焔土器

 非常に造形的なのだが、この美に気がついたのは岡本太郎である。彼は上野の国立博物館で火焔型土器を見て、これぞ日本芸術のルーツだと美術誌に書いたのである。発掘された古代の実用品が美術作品になった瞬間であった。
 しかし、これは芸術として作られたのではなくて、この文様には古代人一族の根源的な絆意識が込められていると思われる。なぜなら火焔型土器は古代越の国の範囲に限られており、デザインは統一されているからだ。同じ遺跡から王冠型土器という類似の土器も発見されるのだが、それぞれ明らかに区別されており、デザインが混ざったり揺らいだりしない。この造形にはハッキリと意味があり、制作者が思いつきで変更できるものではなかったのだ。

 各地で展示されている地元の縄文土器を見ると、明らかに国境が有り文化圏の相違がある。石器や勾玉は交易品として国境を超えてゆくが、造形は文化であり、簡単に移っていかない。土偶の顔も地域で違う。抽象化の過程が異なるのである。
 さて、火焔型土器という名も、発見時の印象からくる命名であって、煮炊きに使うものというイメージから来る要素もあったのだろう。しかし古代人がこのデザインをどういう意味で意識し創作したのかは判らない。岡本太郎はこの造形に水を見ていたようである。こんな使い勝手の悪い鍋を何のために作ったのか、この模様にはどういう意味があるのか、多分永遠の謎であろう。(^o^)わははは…

映画鑑賞 TRUMBO @早稲田松竹

久しぶりに、映画鑑賞。 高田馬場の早稲田松竹でシニア900円(^^ゞ

トランボ ハリウッドに最も嫌われた男
原題 TRUMBO Trumbo.png

(2015年 アメリカ 124分)

アメリカ映画を代表する脚本家の苦難を描いた作品。米ソ冷戦下の赤狩りで、投獄・追放され、作品発表の場を失った映画脚本家が、名義を借りたり、偽名を使って、名作を書き継ぎ、ついに名誉回復を遂げるまでの物語。

スパルタカス Spartacus(1960年)・栄光への脱出 Exodus(1960年)は、作品発表時に彼の名が再びクレジットされ、ハリウッド追放から13年ぶりに表舞台に立った記念すべき作品。死後「ローマの休日」が、彼の脚本であったことが明らかにされ、1993年改めて、彼にアカデミー賞が与えられた。
作品は、赤狩り下で職を失った映画人の群像を描くとともに、トランボ一家のアメリカ人らしい家族の絆を描く。それとともに、あの時代の男たちの男臭い生活を懐かしく思い出させてくれた。人間の生活は随分と変わるものだ。(^o^)わははは…

併映は「帰ってきたヒトラー」
原題 Er ist wieder da (2015年 ドイツ 116分)
ネオ・ナチの復活の見られるドイツに、本物のヒトラーがタイムスリップしてきて引き起こす風刺的問題作。ネオ・ナチ関係者にヒトラーが突撃取材したりしている。(^^ゞ

二本で4時間以上座っていたので、体のあちこちがしびれてしまった。
( ゚Д゚)ふぇ~

ラスコー展@上野・国立科学博物館

 ラスコー展に行ってきた。フランスのラスコー洞窟に残された洞窟絵画のレプリカ展示である。
 3D技術によって、復元された洞窟内面に模写の絵画が描かれている。フランスから借りてきたものだ。本物の洞窟はフランスに行っても立ち入り禁止になっているから、我々が見れるラスコー壁画としては最も実物に近いと思われる。レプリカだからフラッシュを使わない写真なら展示品の一部を除いてオッケーである。
 絵はやはり素晴らしくて、画材に制約があるだけシンプルで独創的な表現ができていると感じた。しゃがみこんで少し見上げるような感じで見ると、より生き生きと感じられた。これを揺らめくランプの光で見れば、さらに躍動感があるだろう。
 彼等にとって洞窟は生活の場ではなかったらしい、とすれば、何のために真っ暗な洞窟の中に絵を描いたのだろう。暗闇の中に入り、ギャラリーのような空間で、何を思っていたのか気になるところである。
クロマニョン人の像
 さて、写真は絵を描いたクロマニヨン人の等身大のマネキンである。よく出来ていて、目を合わせるると挨拶をしてしまいそうになる。皮膚も柔らかそうで、金色の産毛まで生えていて、とことん凝っている。(^^ゞ これは爺さんだが、他の三体は女性でなかなか魅力的であった。絵を描いたクロマニヨン人は古代人だが、生物的には我々とほとんど変わらない。同時代にはまだ生き残っていたネアンデルタール人のような異種の感じは無いのだ。おそらく現代に生まれてくれば何の違和感もなくスマホを使い現代社会に溶け込む能力を持っていたのだろう。

東京若葉キリスト教会

 近代建築の探訪を続けているS氏よりお誘いがあって、新宿区中井の旧島津一郎邸アトリエが、文化の日に特別公開されるというので、同行することにした。寒かったが快晴で外出には良い。(^^ゞ
 で、ここも素晴らしかったのだが、もう一つ「四谷の小さな教会も公開されているので、行ってみるかい」と聞かれて、付いて行ってみた。で、驚いたのである。

 四谷の迎賓館の門を後ろに、一寸入ったところに小さな教会は有った。飾り気のない真四角な塔屋に小さな窓があって、角度の無く庇の出が少ない屋根が載っている。イタリアの街角にありそうな雰囲気だ。平屋の会堂は北側に大窓があり、明るく、とても気持ちのいい空間で、綺麗に修復されている。

東京若葉キリスト教会

 資料を見ると、なんとメレル・ウイリアム・ヴォーリズの設計だそうである。ヴォーリズの建築は以前テレビの番組で見て、その親しみやすい優しい建築にはぜひ触れてみたいと思っていたのだが、思わぬところで遭遇した。ヽ(^o^)丿

 この教会は、昭和13年の建て替えの際、ヴォーリズが設計したらしい。戦時中強制疎開で壊されたが、戦後昭和23年に設計はそのままに再建されたのだそうである。その後東日本大震災で、使用不能となる被害を受けたが、平成25年12月に改築修復され、新宿区の文化財にも指定された。
 現役で使われている地域の教会であるので、利用者の利便のために、入口の位置が変わり、間取りも大きく変わっているらしいが、外観や雰囲気は大切に維持されているようだ。

 特に北側に連続する大きなガラス窓は古い建具をそのまま残したものだそうで、これがとても気持ち良い。普段でも日曜日は内部を拝見できるようなので、機会があればまた行ってみたいと思う。(^o^)わははは…

ルノワール展へいく

ルノワール展 「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」

 気が付いたら、4ヶ月も有ったルノワール展の会期が来週月曜まで。慌てて見に行った。混んでいるのはかなわないので、10時の開館の20分前に地下鉄の乃木坂駅について、まずは連絡通路の臨時当日券売り場で入場券を買う。正規の券売り場の行列をパスして、まっすぐ国立新美術館1Eの入り口に並ぶ、すでに行列はあったが、時間より早めに動きだして開館と同時位に入場できた。(^^)/
 みんな入口の方の展示から順番に見始めるので、サッサと会場中央の目玉展示「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」の前に行く。(^^ゞ
 まだ、ガラ空きである。(^o^)わははは…

 反対側に展示された「都会のダンス」と「田舎のダンス」もじっくり楽しむ。
 少し混んできたので、その先もじっくり楽しんで、出口前から逆戻り。開場から30分程経ったので、場内はもういっぱいの人混みになっている。人の隙間を縫って入り口まで戻り、初期作品から再度観覧。いや~、いいものが揃ってます。あれこれの媒体で見知ったルノアール作品を、今日は現物で一度に見れる。これは贅沢だなぁ。一時間ほどで退出しました。もう人混みは体力が持たん。(^o^)わははは…

 さて、やはり圧巻は「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」。若いルノアールが自分の信じる芸術を叩き込んでいる。構図や色彩配置も完璧だ。他人がどう思おうが自分の芸術的使命を徹底的に追及している感じがする。
 楽しい作品は「田舎のダンス」だろう。使命感から解き放たれて、自分の好きな物を自由に描き始めている感じがあるのだ。
 全体として、ルノアールが人物画からスタートして、風景画に興味を移し、そこで印象派の画風を確立したが、やがてその画風も捨ててルノアール独特の色彩表現と女体画に移行していったのがよく判った。良い展覧会であった。

信仰をつなぐ庚申塔

 散歩の時、道の辻などでよく見かけるのが、庚申塔である。

 江戸では庚申様を祭る信仰者集団の庚申講が無数に存在し、それぞれが折に触れて庚申塔を建て信仰したのである。身近に江戸を感じられるモニュメントであるが、これに気を配っている人をほとんど見ない。お地蔵さまだと思っている人も少なくない。

 庚申様を説明すると、中国の道教(日本の神道のような土着的民間信仰)では、人体の中に潜む「三尸(さんし)の虫(上尸=頭、中尸=腹、下尸=足)」が、干支の57番目の庚申の夜に人が眠りにつくと天に昇り、天帝にその罪を告げるのだそうである。天帝はこれを聞いて人の罪の軽重に応じて、その人の寿命を縮めていくのだといわれる。この庚申の夜が60日ごとに巡ってくるわけだ。この信仰が日本に伝わり、平安時代には貴族を中心に庚申の日は徹夜で身を清める行事が定着した。そして集まって夜を徹するための遊びがはじまり、江戸時代には、信仰でありつつ、60日周期で巡ってくる民衆の徹夜の娯楽的行事に変化していく。(^o^)わははは…

青面金剛刻像塔 それはともかく、信仰となると判りやすい礼拝の対象が必要である。命を縮める病に霊験あらたかな青面金剛(しょうめんこんごう)が本尊とされるようになった。そして作られたのが、道端によくある「青面金剛刻像塔」である。
 写真の物は、墓石のような石塔であるが、頂上部には屋根を載せてお堂をかたどり、中心部には青面金剛像を彫る。青面金剛は青い顔で怒髪冠を衝く最高の憤怒の表情を表し、六臂(6本の腕)には、仏法を表す法輪や三叉の錫杖、弓と矢などを持つ、写真の像では2本は合掌している。
 足元には邪鬼を踏みしめ、その下に「見ざる言わざる聞かざる」の三猿が彫られている。
 三猿は庚申が「きのえねさる」であるとともに、サンシの虫がみずからの行いを「見ざる聞かざる言わざる」とすることを意味するのであろう。(^^ゞ

 しかし、この信仰はよく判らないことが多い。この青面金剛はインド伝来の仏様ではない。そもそも信仰の根幹は中国の道教に由来する。また神道の猿田彦が崇拝の対象だという話もある。つまるところ民衆の間で、いろいろな信仰がごった煮になって、習俗化したようなものらしいのである。
 しかし、この庚申塔への信仰は根強いようで、現在でも道路上等に多数が残り、花がかざられ水が供えられ手入れもされている。壊れても修理がされて、目には見えないがしっかりと受け継がれていることが見て取れるのだ。

五姓田義松展@神奈川県立歴史博物館

 明治初期の洋画家「五姓田義松」(ごせだ・よしまつ)の展覧会が横浜であったので、終了前(11/08)に見に行った。日本初の洋画家と言うと「鮭」の高橋由一だが、由一が油絵の習得のため、横浜にいた画家チャールズ・ワーグマンに師事したとき、彼より先にワーグマンの弟子になっていた少年がいた。わずか10歳で前年弟子入りしていた五姓田義松である。由一は狩野派の絵師から油絵に移行したので、いかにも和洋折衷的な画風であるのに対し、五姓田義松は当初から洋画の本質を会得していたようで、細密な鉛筆画や陰影を主体にした油絵など、江戸時代に学習した画家とは思えない見事な洋画である。それでいて感性はまことに日本人であり、残されたスケッチに見る風景や世俗画などは我々の心情にぴったりくる。五姓田義松はその後パリへ遊学し、サロンにも日本人初の入選を果たすなど、日本人の洋画家として最高位に付くが、何故か日本の美術史的には忘れられた存在になってしまう。
 それは、彼以降に洋学した黒田清輝らが、新しい印象派的な画風を持ち帰り、日本の洋画界のトレンドが変わってしまったからであろう。絵は芸術になり、文芸活動の流れが出来たのだ。一方、五姓田義松は絵師の家に生まれ、家族も皆絵師であり、職人的な気質を持っていて、このトレンドに感心が無かったと私には感じられた。彼は新しい画風には移行せず、皇室や軍の求めに応じた肖像や記録の絵を描き、それによって得られた画家の地位に満足していたのであろう。
 残されたスケッチや多くの資料をそろえた今回の展示は好評だったようで、展覧会の図録が早期に完売し、急遽増刷された500部の販売開始に、わざわざ来館した人の長蛇の列ができていた。

 さて、有り難いことに一般900円の鑑賞券が、65歳以上はなんと100円だった。館内にある喫茶部でケーキとコーヒーのセット500円を頼んだら半券を見せると100円引きになった。 (^o^)わははは… こういう事があると高齢者は幸せを感じ、精神的・政治的に安定するのだ。 (^^ゞ
 アベ君少しは考えてくれ。

五色のロールケーキ

 これが五姓田義松展の期間限定の五色ロールケーキセットである。挟まれたクリームもサツマイモ餡やゴマ餡などあって美味しかった。何でも五姓田(ごせだ)という不思議な名前は、彼の父の五姓田芳柳が、幼少のころ事情があって次々養子先をたらい回しされて姓が変わり、みずから五姓田を姓としたことによるのだそうで、このケーキは五姓田の名に着想を得た品だ。ご馳走様でした。

シスレー展@練馬区立美術館

 今日10月30日は、フランス印象派の画家アルフレッド・シスレーの誕生日である。1839年の生まれだ。昨日は近所の練馬区立美術館でシスレー展をやっているので、ちょっと見に行った。シスレーは「典型的な印象派の画家」といわれ、印象派展には必ず出品されてるのだが、あまり印象に残る作品は無い。みな小品の風景画で、青空を背景に水面と雑木林に点景の人物が隠れて居て、穏やかで静かな時間が流れている。好きな絵だが、当たり前の風景画で、強烈な印象を残すことは無い。(^^ゞ

シスレーの風景画

 しかし、この当たり前の画家であることか、まさにシスレーの典型たるゆえんなのである。趣味の日曜画家というと、石神井公園あたりで、池畔にキャンバスを立てて、のんびり絵を描く人物を想像するが、この典型像を一生貫いたのがシスレーである。
 それ以前の画家と言うと、王侯貴族のパトロンを持ち、制作は注文で、たっぷり時間をかけて細密でリアルな絵を、室内で描いて納品するというライフスタイルであった。、絵の色調は渋く暗く、テーマは神話や歴史や肖像であった。これに対し、シスレーは戸外で、自分の描きたいものを描いた。チューブから絞り出した絵の具を、そのままキャンバスに置いていくような荒いタッチの早描きで、明るい気持ちの良い絵を描いて、これを市民の新しい資産階級に売っていた。貧乏ながら画家が生計を独立したのである。
 日本で洋画が取り入れられた時、まさにこのスタイルが洋画家の典型となった。シスレーは現代洋画の始祖かもしれない。(^o^)わははは…

  今回のシスレー展では、河川管理の技法が展示解説されていた。印象派はセーヌ河畔の静かな水を湛えた風景を光あふれる題材として描いているが、この水面はセーヌ川の船舶通行を確保するために湛えられた水であり、堰や閘門による河川管理の発達が作り出した風景なのだという話である。芸術とは異なるが、これはこれで、なかなか面白かった。産業の発達が新しい風景と、新しい資産階級と、新しいレクリェーションと芸術を、同時に生み出していくというのが、歴史なのであろう。
☆彡
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