毎日雨ですねぇ。 のらりくらりの毎日ですが元気にがんばっております。(^^ゞ
梅雨or秋雨前線
2017年08月15日 (火) "
  昨日は夜の11時に車で家に帰ってきたのだが、東京区部に入ると雨脚が特に激しくなって、自宅に着いたときは車から出られないほどの大雨だった。どうやら時間30mmの土砂降りだったらしい。
 8月に入って雨が続いている。今日の天気図はこんな感じ。

前線の発達した今日の天気。梅雨or秋雨?
 停滞前線が発達しているが、これは梅雨か秋雨前線か。(^o^)わははは…

 雨で地面が冷えているから、今年の夏は暑さが続かない。暦の上では既に秋、暑くなっても夏の戻りである。日照不足と長雨で秋野菜の高値が心配だ。

夕方五時半の虹
2017年08月06日 (日) "

 台風の影響でしょうが、茅野駅の近くで急に土砂降りの雨に降られ、その後傾いた西日が雨雲の下に入ったので、雨上がりの見事な虹になりました。(^^)/
雨上がりの虹


月夜の七夕
2017年07月07日 (金) "
 今日は七夕である。七夕にブログが雨のテンプレートというのも何なので、七夕に変更です。(^^ゞ
 とは言うものの、七月初旬は天候の荒れる季節ですから、星空は望めません。もともと東京で天の川を見るのは無理ですが、晴れれば今日は、ほぼ満月(13夜)の月の右隣少し下に土星が並び、その延長線上にサソリ座のアンタレスが来るという、素人には解りやすい星空なんですがね。(^o^)わははは…残念です。これを見るには、今晩夜10時頃が良いらしいです。真南にこの星空が見られます。土星は傾きが大きいので、望遠鏡があれば輪もよく見えるらしいです。

  月夜にサボテンの花が咲く
  写真は先月6月11日の満月とサボテン
  薄雲の出た月夜はこんなに明るい。

 さて、以前も書いたのだが、七夕は旧暦で祝うべきである。新暦では時期的に最悪だ。今年の七夕は8月28日である。旧暦だと七日は必ず半月で、天の川が天空の中央に登る時間には月は地平に没している。つまり月の無い暗闇が保証されていて、目が闇に慣れているので細かい星もよく見えるのだ。昔の人はきちんと考えて設定しているのに、太陽暦に日にちだけ移せばいいというのはいかにも乱暴である。相手は天文現象なのだぞ。(^o^)わははは…
 
22:00追記 天気が良くなり、土星やアンタレスも見えました。(^o^)/

剪定→ゴミ出し
2017年05月16日 (火) "
 一斉に植物が芽を吹いたので、隣家へ伸びた椿や建物に被さる蔦を一部払った。日曜日に玄関前を1時間ほど剪定して、2時間のごみ処理で5袋作って、やっと今朝4袋をゴミ出し。一度に大量の剪定ゴミが出せないので、作業は進まず、夏に向けて我が家の密林化はすすむ。(^o^)わははは…

剪定ゴミを出す(^^ゞ


夢は脳による画像再生らしい
2017年02月11日 (土) "
一昨日、目覚める前に瞬間的な夢を見た。目の前に新聞の第一面が出てきて大きな題字が踊っている。それを見ようとしたのだが、文字が読めない。そこで目が覚めた。(^^ゞ頭はスッキリしているので、夢の意味を考えたが、何も判らない。そして考えたのである。

 「夢は画像である。そして脳は画像で記憶を処理している。」

 人間はものを考えるとき言葉を使う。言葉で抽象的な概念を作り関連付けて、論理的に思考にまとめる。覚えるときも単語を記憶しょうとする。しかし夢は論理的ではなくて、見た夢を起きてから記録しょうとすると、言葉に出来ないし、そもそも論理的でない展開をするから、言葉にしようとすると粉々に砕けて消えてしまうのである。それは夢がイメージの再生だからである。
 考えてみれば、人間が言葉を使うようになったのは最近のことで、それ以前から夢は見ていたに違いない。多分他の言葉を持たない生物も、何かしらの夢は見ているのであろう。イメージならそれが可能だ。
 一昨日の夢も、新聞が何かを報じているというイメージであって、報じている中身に意味が無いから、読もうとしても読めなかったのに違いない。(^^ゞ

 そして、夢は人によって随分違うらしい。楽しい夢をフルカラーで見る人や怖い夢をモノクロームで見る人など色々である。私の場合紙芝居形式のようだ。ある画面から次の画面に次々と移ってゆく。この一枚がショートムービーのように動くこともあるが、動いても長くはない。電車が通過したり、二三歩階段を降りたりするだけである。
 この紙芝居のような展開が、後で思い出したりするときに非論理的で理屈がつかなくて、悩むのである。(^o^)わははは…

 しかし、夢が画像だとすると、脳は記憶を画像で処理しているのであろうか。画像だとすれば納得できることも数多い。人の顔は記憶できるのに名前が出てこない事は多い。人生の出来事を思い出すのに写真は最高のヒントになる。妙に鮮明な記憶というものは画像を伴っている。等々。
 記憶術でも、覚えるべきものを一つの空間にビジュアルに配置していくというのが、極めて有効だと言われている。つまり以前も言ったことがある「記憶の芋づる」は画像で保存するのが良いのである。

 専門家というのは、その世界が頭のなかで構築されていて、実世界のように動けるらしい。小説家は書いているうちに登場人物が勝手に動き出して、書く手が追いつかなくなるそうである。天才の「イメージが膨らんでいく」というのはそういう事なのだ。


寒い夜は寝袋睡眠
2017年01月10日 (火) "
 年末12月は妙に暖かかった。じっさい我が家の電気料金は11月より12月の方が大分安かった。これは11月が驚異的に寒くて、電気使用量が跳ね上がったせいなのだが、それにしても12月は昨年より随分少ない。
 しかし、年末に来て、例年通りの寒さがやってきて震えあがってしまった。(^^ゞ
寝袋
 暖かくして寝ようと思って、古い電気掛毛布を使ったが、古い毛布なのでとにかく重い。布団の中で体が自由に動かない。先日のテレビで「腰痛は寝返りをできない事が原因」とあったので、これは拙いかもと思った。そこで「なにか軽くて温かい布団はないか。」と考えて、思いついたのが先日虫干しした登山用の寝袋である。
 年末29日に布団の中に寝袋を敷き込んで寝たら、ホカホカで電気要らず、自己熱で快適である。ゆとりのある袋状なので、体を動かしても寒気に触れることがなく、布地がすべすべしていて、寝がえりが楽。
 短期避難のつもりが、ドップリ嵌ってしまった。(^o^)わははは…
 歳を取ると眠りが浅く、ちょっとしたことで目が覚めてしまう。一眠りが90分のサイクルで、目覚めのタイミングがやってくる。この時快適でないと脳が起きてしまうのだ。この季節、寝袋睡眠は思いの外、快適であった。

お薬師さんへ水汲みに
2017年01月03日 (火) "
 2日は、珈琲を淹れる水は井戸水に限るということで、新井のお薬師さんの井戸へ水を貰いに行った。本殿前は大行列で、境内は賑わっていたが、水を汲みに来るいつもの地元民はすくないようだった。境内には庭燎が焚かれて御札や達磨が投げ入れられていた。
新井薬師@中野区

 並んでまで初詣する気にはどうもならないので、さっさと水だけ汲んで引き揚げてきたが、こんなにたくさん一時に来られては、神さまだって願を聞いていられまいと思う。(^^ゞ

 さて、そもそも幸運なんて自分には巡ってくるまいと思っているから、私は神に頼る気には成らないようだ。それに人事を尽くしていない自覚がある。(^o^)わははは… だから、心情的に神には頼れないのだ。まずは生活を改めないとと思うのである。(^^ゞ
 しかし不運なら私も神を信じてもいい。天網恢恢疎にして漏らさず。いろいろ経験はある。神さまは私にお目こぼしを下さらないようだ。やはり普通に神を信じて、素直に善行を積んだほうが平安ではあるのだろう。(;´д`) とほほ…

 しかし、このような考えになるのは、神が我々の世界を支配していると考えるから、そうなるのだが、これは社会的に支配者が生まれてから出て来た考え方ではないだろうか。
 元々の日本人の神に対する考え方は、この世に暮らす目に見えない隣人として理解して来たように思う。田の神や山の神がいて、仲良くしていれば人間に協力してくれて豊作になり、対立すれば不作になる。神さまは人間よりムラ気で嫉妬深いから、お祭り等をして御機嫌をとる。(^o^)わははは…日本人の神さまはそんな素朴な神であるような気がする。
 おそらく、階級社会ができて、支配者が神話を取りまとめたり仏教を道入したりして、現在の宗教の体系を作り、神を人間の支配者に祭り上げたのであろう。

わが人生に悔いあり
2016年12月03日 (土) "
 「わが人生に悔い無し。」ならかっこいいのだが、振り返るとやはり悔いありである。(^^ゞ

 性格的に面倒くさい事や怪しい話からは逃げ、楽で安全な道を選択してきた。基本的にリスクを取らなかったのである。だからいろいろ人生のチャンスを逃してきた。振り返ると別の人生が有ったことを思う。
 なぜそうなったかというと、決断を必要とした時に、予定や準備をして待っていなかったからである。先を見てなりたい自分、やりたいことを把握していない自分がそこに居た。
 チャンスをものにするためには、自分の夢を煮詰めて、スキルや条件を整えておく必要がある。準備が無ければチャンスが与えられても、飛べないのだ。怖気づいてしまう。(^o^)わははは…

 社会的成功者という物は、優秀であることはもちろんだが、千載一遇のチャンスをものにできた人である。多くの人はチャンスに出会えても、それをチャンスとして捉えられない。自分の夢を考え抜いて、その時を生かす遠大なビジョンを持っていた人間だけが、そのビッグチャンスをものにできるのである。
 小市民的な生活者でも、チャンスへの態度は同じだ。仕事や趣味や結婚など、夢を持っていれば相手から声がかかるものである。その時、どのような判断ができるか、それが人生を決定する。
 まあ、小心者は今の甲羅に合わせて、穴を掘ってしまうので、なかなか飛躍は出来ない。齢を取るとそんなことを考える。

 しかし、それも悪い事ばかりではない。「稼ぎに追いつく貧乏無し」といわれるが、収入より支出が多ければ、金持ちに見えてもやはり自転車操業の貧乏である。能力も「出」が多ければ枯渇する。現代社会は能力の無駄な消費を必要とするところも多いから、大したことのない仕事で能力を使い果たしてしまう人も、多いのだ。成功するためには自分の無駄は切り捨て、人の成果に乗っかる必要がある。だから、自分の性格を考えて、ほどほどに生きることも悪くはない。それもまた昔の人が推奨した生き方なのである。(-人-)なぁ~無

 しかし、いくつかは取りに行きたかったチャンスはあった。この残念さがまた人生という物か。(^o^)わははは…

お風呂屋さんスタンプラリー
2016年11月27日 (日) "
 今年も、中野のお風呂屋さんめぐりスタンプラリーが実施されて、11月は毎日お風呂屋さんめぐりをしていた。(^^ゞ今までは五軒を廻ると一回りだったのだが、今年は三軒で一回りなので、自分のホームグラウンドを廻れば終わってしまう。楽だが少々物足りない。

お風呂屋さんスタンプラリーの台紙

 お風呂屋さんは、ゆったりリラックスできるので、健康に良いと思い続けているが、社会観察としても面白い。
 一番感じるのは日本人が軟弱になっていることである。私が子供の頃には、体がキュッと締まって、皮膚がパツンと張りのある人がずいぶん居たのだが、そんな人を見ることは無い。みんな脂肪分が皮膚の下にポッテリと有って、若い人もぷよぷよである。そうでなければ皮が弛んで垂れている。(^^ゞ 総じて、覇気がない。これでは日本は世界の流れに後れを取るなと思うのである。

 さらに行動を見ていくと、せっかちで、せわしない人や、自分の事しか見えていない人など、湯船から見ていると人間模様も個性的である。こういう人たちで構成されているのだから、他人様に腹を立ててもしょうがないと思うのである。(^^ゞ 自分は自分で、せいぜい人様に笑われない暮らしをしなければと、反省もあるが、まあ、人様の事はあまり気にしないことだ。(^o^)わははは…

 この後は廻った回数だけ三か所づつ無料でお風呂に入れるのだが、今年中が期限なので、12月中も三か所づつ廻るのに忙しいことになった。しかし、毎月一万円以上風呂代に使っているので、12月の風呂代が只になるこの企画は大いに助かるのである。

幸せの布団乾燥機
2016年11月11日 (金) "
 このところ毎朝が寒くて (ToT)トホホホ…、 室温が13℃で真冬並みである。
 そこで朝起きると、暖房を兼ねて、ベッドの足元に常置した布団乾燥機をかけて、温風を布団に送り込む…で、つい布団に潜り込んでしまった。腹の上に温風の袋を抱えて寝転がっていると、これは幸せである。(^o^)わははは…
 驚くのは、布団の重さが感じられないことだ。ドームテントの野球場の様に、掛け布団が空気圧で支えられているから、中で体が楽に動かせる。こういう空気布団があっても、いんじゃないか。ウォーターベッドに空気布団なら、ちょっとした浮遊感に包まれて幸せに寝られるかもしれない。(^^ゞ