さぶいぃ~ぃぃです。 のらりくらりの毎日ですが、元気にがんばっております。
2018年01月22日 (月)
 いよいよ固定電話の解除を検討中である。
 最近は何かの申込みに固定電話を要求されることはほとんど無くなったし、固定電話にかかってくるのは怪しい勧誘電話ばかりである。ADSLのインターネット回線は今月末で解除する手続きをしたので、来月早々には解除が可能だ。問題はFAXだけである。音声通話とFAXしか使えない友人がいるのである。(^^ゞしかしなくても、まあなんとかなるだろう。

 携帯電話やデーター通信機器も整理しようと思っている。進歩に合わせて各種情報手段を増やしすぎた。ネットのパスワードなども増えすぎてしまったが、これは管理してくれる仕組みがあるので、なんとかなっている。紙の媒体も商業新聞は止めてしまった。本はもっぱら図書館である。情報が多すぎて読みきらないのである。

 現在、家の中は長年収集した歴史的なゴミで溢れているが、将来を見据えていよいよ捨てなくてはなるまい。身の回り品を整理して愛車のビッツ一台の荷物で、どこへ雲隠れしても本人は困らない生活が、現在の理想である。(^o^) わははは…

古語のお茶はアップルパイ
 午後のお茶は、四割引で買ってきたホールのアップルパイ。
   一切れ分50円也 (^^ゞ


 

2017年12月14日 (木)
 退職してだいぶ時間が経って完全年金生活者なので、現役の後輩に会うと、「幾ら貰えるんですか」とか、「生活できますか」とか、聞かれることは多い。(^^ゞ
 これが定年後の人になると、年金は本来65歳から支給だが、60歳からの繰上支給にするか、逆に遅らせて70歳からの繰り下げ支給にするかを悩んで聞く人もいる。しかしこればかりは人それぞれであるから、なんとも言えないのである。確かに標準の65歳支給に比べて、貰える額が大きく変わるのだが、早く死んでしまえばどちらにしろ元も子もない。(^o^)わははは…
 考え方次第なのだが、大事なのは年金は生きている限り貰えるということなので、「長生きに対する保険をかける」という発想だろう。保険だから短命で貰えなければ危険な「長生きのリスク」が無くなったのだと考えてメデタイと諦めることである。(ToT)トホホホ…
 人生100年の時代だから、自分の貯金が少々あっても資金はもたない。年金と社会保障は心強い味方なのである。自分で先の見えない長生きのリスクに対する保証を確保しようと思えば、とてつもない財産を築いておかなくてはならない。普通の人には無理であって、年金は国家という組織があって初めて可能な終身保険なのである。ここは日本という社会を信用し、まちがっても戦争などを起こさないよう安倍君に縛りを掛けておかなくてはならない。
 その考え方でいけば、保証を大きくするために退職後は自分の財産で70まで食いつないで、年金額を最大4割増しにするのは良い方法かもしれない。損益分岐点の82歳まで生きられず元が取れないのは覚悟の上である。(^^ゞ
 しかし酒もタバコも止められない。肥満体質で糖尿のケもあるというなら、少額でも早くもらっておいたほうが当然良い。(^o^)丿
 大切なのは、将来の自分の年金額に合わせて早期に暮らしを縮小し、年金で持続できる暮らしに入ることである。その上で死ぬまでに資産を使い尽くす計画を建てるとよい。怖いものなしで安心して遊ぶことができる。
 そしていちばん大事なのは、自分に大切なことだけに絞って生きることであろう。残り時間は少ないのであるから、暇を持て余したり、見栄で好きでもない仕事を持ったりしてはいけない。人生やり残さず生きたいものである。(^o^)丿


2017年11月25日 (土)
 地元の大型書店が、他の大型書店に吸収合併されて、リニューアルして再開店した。店内はガラッと模様替えされて、陳列棚がおしゃれになった。文具売り場や喫茶部もできた。で…、私は困っている。(^^ゞ

 何に困っているかというと、目的の本が広い店の何処に置かれているかわからなくなった。
 こういう内容の本を探そうと思うと、以前なら自然にその本があるべき棚の前に行けたのであるが、ガラガラポンされたので、まだ見当がつかないのだ。頭のなかに手を突っ込まれてグチャグチャにされた感じである。(^o^)わははは…

 若いときは変化に対する適応力が有ったのだが、歳を取ると容易には新しい環境に馴染めない。それに最近の店は見栄えを良くすることに重点が置かれていて、売れ筋の商品ばかりが目立つように陳列を変えている。これがまた定期巡回をする客にとっては落ち着かない。
 実用的な本棚に背表紙だけを見せて並べていた昔の書店は、あの本ならあの店のあの棚ならあるかなと、だいたい想像できたものである。本棚を見れば店の親父の思考が解り、それがわかれば店に入ってくる本も見当がつく。(^^ゞ

 さて、これは本屋だけの話ではない。いまは、若い店長が自分の成績を気にして、あれこれ工夫をするのだが、だんだん工夫をしていないと落ち着かないので工夫をするようになるらしい。社長も新機軸に熱心だと、しょっちゅう社の方針が変わるようだ。もともと自分の思想がないのだから、だいたいは無駄な努力で、振り回される客は迷惑なのである。(^o^)わははは…

 

2017年08月27日 (日)
七夕の夜空

 今年は、閏月があるので、新暦の七夕よりずいぶん遅い。(^^ゞ


2017年08月25日 (金)
 本日深夜再放送があります。最悪の作戦と言われたインパール侵攻がどのように決定遂行されたかがわかります。当事者の肉声テープが存在したとはびっくりです。
 うちの親父が居た部隊も、こちら方面へ送られたと聞いたことが有ります。しかし、直前に内地に教官として残るメンバーに選抜してもらったようなのです。いわば私も生き残りなのかもしれません。


2017年8月26日(土)午前0時50分~2時03分(25日深夜)
  戦慄の記録  インパール

2017年08月15日 (火)
  昨日は夜の11時に車で家に帰ってきたのだが、東京区部に入ると雨脚が特に激しくなって、自宅に着いたときは車から出られないほどの大雨だった。どうやら時間30mmの土砂降りだったらしい。
 8月に入って雨が続いている。今日の天気図はこんな感じ。

前線の発達した今日の天気。梅雨or秋雨?
 停滞前線が発達しているが、これは梅雨か秋雨前線か。(^o^)わははは…

 雨で地面が冷えているから、今年の夏は暑さが続かない。暦の上では既に秋、暑くなっても夏の戻りである。日照不足と長雨で秋野菜の高値が心配だ。

2017年08月06日 (日)

 台風の影響でしょうが、茅野駅の近くで急に土砂降りの雨に降られ、その後傾いた西日が雨雲の下に入ったので、雨上がりの見事な虹になりました。(^^)/
雨上がりの虹


2017年07月07日 (金)
 今日は七夕である。七夕にブログが雨のテンプレートというのも何なので、七夕に変更です。(^^ゞ
 とは言うものの、七月初旬は天候の荒れる季節ですから、星空は望めません。もともと東京で天の川を見るのは無理ですが、晴れれば今日は、ほぼ満月(13夜)の月の右隣少し下に土星が並び、その延長線上にサソリ座のアンタレスが来るという、素人には解りやすい星空なんですがね。(^o^)わははは…残念です。これを見るには、今晩夜10時頃が良いらしいです。真南にこの星空が見られます。土星は傾きが大きいので、望遠鏡があれば輪もよく見えるらしいです。

  月夜にサボテンの花が咲く
  写真は先月6月11日の満月とサボテン
  薄雲の出た月夜はこんなに明るい。

 さて、以前も書いたのだが、七夕は旧暦で祝うべきである。新暦では時期的に最悪だ。今年の七夕は8月28日である。旧暦だと七日は必ず半月で、天の川が天空の中央に登る時間には月は地平に没している。つまり月の無い暗闇が保証されていて、目が闇に慣れているので細かい星もよく見えるのだ。昔の人はきちんと考えて設定しているのに、太陽暦に日にちだけ移せばいいというのはいかにも乱暴である。相手は天文現象なのだぞ。(^o^)わははは…
 
22:00追記 天気が良くなり、土星やアンタレスも見えました。(^o^)/

2017年05月16日 (火)
 一斉に植物が芽を吹いたので、隣家へ伸びた椿や建物に被さる蔦を一部払った。日曜日に玄関前を1時間ほど剪定して、2時間のごみ処理で5袋作って、やっと今朝4袋をゴミ出し。一度に大量の剪定ゴミが出せないので、作業は進まず、夏に向けて我が家の密林化はすすむ。(^o^)わははは…

剪定ゴミを出す(^^ゞ


2017年02月11日 (土)
一昨日、目覚める前に瞬間的な夢を見た。目の前に新聞の第一面が出てきて大きな題字が踊っている。それを見ようとしたのだが、文字が読めない。そこで目が覚めた。(^^ゞ頭はスッキリしているので、夢の意味を考えたが、何も判らない。そして考えたのである。

 「夢は画像である。そして脳は画像で記憶を処理している。」

 人間はものを考えるとき言葉を使う。言葉で抽象的な概念を作り関連付けて、論理的に思考にまとめる。覚えるときも単語を記憶しょうとする。しかし夢は論理的ではなくて、見た夢を起きてから記録しょうとすると、言葉に出来ないし、そもそも論理的でない展開をするから、言葉にしようとすると粉々に砕けて消えてしまうのである。それは夢がイメージの再生だからである。
 考えてみれば、人間が言葉を使うようになったのは最近のことで、それ以前から夢は見ていたに違いない。多分他の言葉を持たない生物も、何かしらの夢は見ているのであろう。イメージならそれが可能だ。
 一昨日の夢も、新聞が何かを報じているというイメージであって、報じている中身に意味が無いから、読もうとしても読めなかったのに違いない。(^^ゞ

 そして、夢は人によって随分違うらしい。楽しい夢をフルカラーで見る人や怖い夢をモノクロームで見る人など色々である。私の場合紙芝居形式のようだ。ある画面から次の画面に次々と移ってゆく。この一枚がショートムービーのように動くこともあるが、動いても長くはない。電車が通過したり、二三歩階段を降りたりするだけである。
 この紙芝居のような展開が、後で思い出したりするときに非論理的で理屈がつかなくて、悩むのである。(^o^)わははは…

 しかし、夢が画像だとすると、脳は記憶を画像で処理しているのであろうか。画像だとすれば納得できることも数多い。人の顔は記憶できるのに名前が出てこない事は多い。人生の出来事を思い出すのに写真は最高のヒントになる。妙に鮮明な記憶というものは画像を伴っている。等々。
 記憶術でも、覚えるべきものを一つの空間にビジュアルに配置していくというのが、極めて有効だと言われている。つまり以前も言ったことがある「記憶の芋づる」は画像で保存するのが良いのである。

 専門家というのは、その世界が頭のなかで構築されていて、実世界のように動けるらしい。小説家は書いているうちに登場人物が勝手に動き出して、書く手が追いつかなくなるそうである。天才の「イメージが膨らんでいく」というのはそういう事なのだ。