暑くなってきましたね。 のらりくらりの毎日ですが元気にがんばっております。(^^ゞ
世界を制覇した一神教
2016年04月28日 (木) | 編集 |
 人間の脳が神を作り、信じ始めたころ、それは考えても結論が出ないこと=「不安」を解消し、自分の安全と一族の繁栄を祈る、実利を求める祈りの対象であった。神は万物に宿り、守備範囲にそれぞれ専門があり、気まぐれだから、祭り上げて機嫌よく働いてもらうものであった。人々は必要に応じて、神を選び祈った。(^^ゞ

 しかし、人間社会に王ができ、権力を発揮するようになると、神の中にも序列があり、全体を支配している神が居るのではないかと考えるようになる。あるいは相対的に力のある神を信じれば、より功徳が得られると考える者も現れる。特定の神を選択して、自分の神とする一神教の誕生である。しかしこの時点ではまだ人間が神を選んでいるし、神を選ぶ理由は自己への功徳・利益である。多神教の社会に生じた相対的な一神教なのである。

 しかし、現在では世界の55%を超える人口が信じているといわれるユダヤ教・キリスト教・イスラム教は、唯一絶対な神が世界を作り、人が神を選ぶことなど想定できないとする特殊な一神教である。このような特殊な宗教が、なぜ発祥し世界を席巻したのだろう。そのルーツを知らずにはいられない。(^^ゞ

 ルーツとなるユダヤ教は、紀元前13世紀にモーゼに率いられエジプトから脱出した奴隷達が、その旅の困難を乗る切る手助けをした神ヤハウェをユダヤ民族の守り神とした一般的な一神教として始まった。彼らは自己の民族のアイデンティティを確立しイスラエル王国を確立し反映するが、この王国は6世紀にバビロニアによって滅び、ユダヤ人は再び奴隷となって、今度はバビロンに送られる。

 彼らの神ヤハウェは、今回は彼らを助けてはくれなかった。信仰による利益は今回は無かったのである。普通ならここで、神は捨てられるところである。しかしせっかく確立したユダヤ民族のアイデンティティを守るためには、神ヤハウェを捨てるわけにはいかなかった。人々は、人間が神に対し原罪を持っており、それゆえ神が試練を与えて神への信仰を試していると考えることにしたようだ。
 この世界は神が作った物であり、ユダヤ人はヤハウェ以外の神を選ぶ事が出来ないと考え、神の提示した戒律を守り、沈黙したまま動かぬ神の救いをひたすら待つという唯一絶対神への信仰を、このころのユダヤ人が確立したらしいのです。

 そして紀元前5世紀、ペルシャによってバビロニアが滅び、団結を守ったままユダヤ人は捕虜から解放された。ペルシャ王は民族的に寛容な政策を行い。ユダヤ人にある程度の自治を認め、彼らの掟=律を書面にして提出するように求めます。これが最初のユダヤ教の聖書(モーゼ五書)になりました。聖書は歴史の中で追さらに追加文書が増えていきますが、起源後1世紀の末「ヘブライ語で書かれた39の文書」の範囲で決定され、固定されます。
 これは、ユダヤ教の理論的展開がほぼ終息し、一方、それを内部から打破する形で、キリスト教による他民族への布教伝播が始まったことが、原因だろうと思われます。キリスト教徒による聖書改変に対抗して、ユダヤ民族のアイデンティティを守るため、ユダヤ教の聖書が固定化されたのです。
 この後、ユダヤ教をベースにしたアラビア語のイスラム教の布教も7世紀にはじまり、現在では世界の55%を超える人口が、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の3兄弟とも言える唯一絶対的一神教の信者だとされています。

 さて、この唯一絶対的一神教がなぜ世界に普及したかですが、何といってもユダヤ民族の過酷な経験から生まれた教理が哲学的で深く、かつ様々な読み方ができる聖書を持っていることでしょう。そして軍事的・経済的に強力な国家を形成する力を持っていた事があると思います。唯一絶対の神は、組織の団結を守り困難に耐え、戦争をする体制を作るのに有利な教理だったと言えるかもしれません。
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