超能力は存在するか

 超能力とは、「視覚・聴覚・触覚・味覚・臭覚」の五感を超えた第6の感覚というわけだが、人は五感以外にも様々な感覚を持っていたと考えてもよいのではないだろうか。しかし人間は五感が発達し、それに頼ったために、それ以外の感覚に対する感受性は鈍くなったのだろう。あるいは第六感で受けた刺激を頭脳が疑うために、我々がそのデータを処理し利用する能力を失っているとは考えられないだろうか。

 例えば、視覚である。目のない生物も世の中を見ていない訳では無いはずだ。人間も、目以外に外界を見る器官を実は持っていたらしい。現在は使われていないがその痕跡は、古い脳内に残っているそうである。とすれば、ふと後方に視線を感じて振り返ったりすることや、昔の武士が目に見えない殺気を感じたと言うのは、実は何かの器官が裏で働いた結果ではないのだろうか。(^^ゞ

 脳の活動は電気信号だと言わている。
 すると、人と人が言葉ではなくて、指先の接触の電気信号で会話をすることは全く考えられないのだろうか。情報が人から人へ非接触の思念で、増幅されながら広がっていくことは無いのだろうか。これがあればテレパシーである。鳥や魚は群れがあたかも一匹の生き物でもあるように行動するが、ここには五感以外のテレパシーのようなものが働いてはいないだろうか。

 医療でいえば、暗示によって病気が治るプラシーボ(偽薬)効果が存在するなら、逆に信頼関係を基に「気を送って」治癒力を高めることにも、可能性があるのではなかろうか。神の奇跡には良くある話だが、思念で自然治癒力の強化が見込めれば、それは医療法のひとつである。

 胸騒ぎとか、内臓の嫌な感じで、不吉な事象の予知をする場合がある。これは脳のある種の確率論的な処理の結果かもしれない。脳は情報を基に無意識のシミュレーションをして結果をアドレナリンの分泌と言う結果で、古くから伝えていた内蔵器官に送っているのかもしれない。理屈抜きで条件反射的に危地を脱するための反応であって、予知は人類が生き延びてくるためには重要な感覚だったのである。(^o^)わははは…

 もしかすると、神は、人の透視・予知・テレパシー・念力治療等の能力とも理解できる。人は第六感の結果を神の声として聴いたのだ。
 科学は不確かな物を切り捨てることで、根拠を確立してきたが、そろそろ不確かと思われたものの中に、真実があるかもしれないと考えてもよいだろう。電気が発見されるまでは、無線通信など荒唐無稽の存在だったのだから、何かの事実の発見で超能力の自在な利用ができるようになるかもしれないではないか。
 しかし、それまでは、眉唾の夢の話ではある。(^o^)わははは…
キリンはテレパシーを伝えてくる。(^^ゞ
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