暑くなってきましたね。 のらりくらりの毎日ですが元気にがんばっております。(^^ゞ
火焔土器@國學院大學博物館
2017年02月01日 (水) .
 「火焔型土器のデザインと機能」と題する展示会(無料(^^)v)が國學院大學博物館で2月5日まで開かれているので観に行った。
 火焔型土器を以前じっくり見たのは、十日町市博物館で、十日町には名物のへぎ蕎麦を食べに行ったのだが、現地で博物館の存在に気がついて観に行って、国宝の火焔型土器群に圧倒されてしまった。関東では縄文土器というと、縄目模様の実用的でシンプル・素朴なものを考えるのだが、この火焔型土器は全く違っている。
 写真は、新潟県長岡市の馬高遺跡で発掘された今回の展示品で、それまで破片しか出なかったこの種の土器が初めて完品で出土した品であり、これが愛称として「火焔土器」と呼ばれた。つまりこれが火焔「型」土器の発見第一号の品である。

火焔土器

 非常に造形的なのだが、この美に気がついたのは岡本太郎である。彼は上野の国立博物館で火焔型土器を見て、これぞ日本芸術のルーツだと美術誌に書いたのである。発掘された古代の実用品が美術作品になった瞬間であった。
 しかし、これは芸術として作られたのではなくて、この文様には古代人一族の根源的な絆意識が込められていると思われる。なぜなら火焔型土器は古代越の国の範囲に限られており、デザインは統一されているからだ。同じ遺跡から王冠型土器という類似の土器も発見されるのだが、それぞれ明らかに区別されており、デザインが混ざったり揺らいだりしない。この造形にはハッキリと意味があり、制作者が思いつきで変更できるものではなかったのだ。

 各地で展示されている地元の縄文土器を見ると、明らかに国境が有り文化圏の相違がある。石器や勾玉は交易品として国境を超えてゆくが、造形は文化であり、簡単に移っていかない。土偶の顔も地域で違う。抽象化の過程が異なるのである。
 さて、火焔型土器という名も、発見時の印象からくる命名であって、煮炊きに使うものというイメージから来る要素もあったのだろう。しかし古代人がこのデザインをどういう意味で意識し創作したのかは判らない。岡本太郎はこの造形に水を見ていたようである。こんな使い勝手の悪い鍋を何のために作ったのか、この模様にはどういう意味があるのか、多分永遠の謎であろう。(^o^)わははは…
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