早くも秋ですねぇ。 のらりくらりの毎日ですが元気にがんばっております。(^^ゞ
幸福と不幸の分かれ目
2010年12月23日 (木) | 編集 |
 21日は皆既月食だったが、残念に事に雨雲になった。前日も次の日も良い天気で綺麗な月が見えていたのに、この日だけ曇りとは残念なことだ。昨年の日蝕も曇りでダメだったので、思い通りにはならないものだ。

 しかし、こういう事を安易に「残念」とか、「ついていない」と思うことが、そもそも不幸の始まりならしい。(^o^)わははは・・・
 人間は自分を中心にして、世の中を良いとか悪いとか見ているので、生きていることそのものが不幸になると言うのが、初期仏教を広めた頃のお釈迦様の教えなのだ。
 この世の中、何が起ころうと、誰かのために廻っている訳ではない。だから基本的に損も得もないのだ。損に感じるか、得に感じるかは、勝手に自分の欲望を反映させる人間の自我が有るからなのである。

 よく判るのは、博打である。丁に欠けるか半に掛けるかで、同じ結果の受取方が幸せにも不幸せにもなる。(^o^)わははは・・・負けた人間は逆に掛ければ良かったと後悔して、お金だけでなく精神まで不幸になる。

 人生、自分を意識して、あれこれ希望的観測をすればするだけ、自分に不幸を呼び寄せるというのが、釈迦の思想なのだ。これはなかなか、2500年前の人が考えたこととは思えない。まさに今を生きる我々に対するパンチのある説教である。(V)。y。(V) フォッフォッフォッ・・・

 考えてみると、この考えは日本人には特によく判るのかもしれない。「ものの哀れ」とは、まさにこの自我意識のはかなさを言うのではないか。
 「明日有りと、思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかわ」  親鸞
 これは、親鸞が僧になるに当たって、明日でも良いではないかという和尚に対し、明日のことは判らないから、今日、僧にして欲しいと詠んだ句らしいが、本来の積極的な意義より、「今ある幸せは、はかない」という「あわれ」の意識の方が多くの人の受取方であろう。

 事実を事実として捉えて、自分の希望的観測で、一喜一憂しないというのは、幸せ作りの第一歩であり、かつ一番難しいところなのである。(^o^)わははは・・・
関連記事

コメント
この記事へのコメント
蘊蓄あるお話でした。
ちょっと、友達同士の気持ちの行き違い、
価値観の違いで生じた問題を相談され・・・
いろいろ考えたそして、考えている 何日間です。
なんとか年内に・・・お二方すっきりと新年をと
思うのですが、ままならなくて・・・

伊賀焼ふっくらさん、美味しかったでしょう。
すごくタジン鍋便利です。
我が家の、買ってよかった物のナンバー1です。
お肉もふっくらしますね。
簡単、美味しくて、楽ちんです。


2010/12/24(金) 06:53:53 | URL | ロッキー&マーフィー母 #-[ 編集]
諦観するとは
 R&M母さん こんにちは。
 新書版の入門書一冊読んだくらいで、直ぐ影響されますが、(^o^)わははは・・・、いまだ新鮮な世界があちらこちらにあるというのが、私の実情です。
 お友達の件心配ですね。しかしブッダの言葉によれば、自分自身のこころの波立ちさえ、容易には収まらないのだから、家族のこと他人のことなど、我が事のように心配すぺきではない。うまく行って欲しいと思うことが、即ちおのれの「欲」である。ということのようです。意外とクールな人なんですね。

 「諦」と言うのは「真実を明らかにする」という意味で、「さとり」のことなのですが、日本人はこの字に明治になって、「あきらめる」とふりがなを振ってしまいました。真実に目を開いて「悟る」のと真実に目をつぶって「あきらめる」のでは、大分違うのですが、もののあわれに重点を置く日本人は消極的な「あきらめる」のほうが心情に合うのでしょうね。(^^ゞ
2010/12/24(金) 11:02:15 | URL | 瓢鯰亭 #-[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック