早くも秋深し。 のらりくらりの毎日ですが元気にがんばっております。(^^ゞ
不老不死は可能か? 
2011年01月06日 (木) | 編集 |
 さて、人間50を過ぎると日々衰えを実感してくる。今すぐ死ぬ気はしないが、何時死んでもおかしくはないと思うようになる。私などこの世に未練がないから、至って呑気なのであるが、地位と名誉と財産を持つ人にとって老いは深刻な問題らしい。(^o^)わははは・・・
 古来不老不死を願うのは、皇帝とか天下人になった人で、自分が獲得したものが死後、他人に好いようにされるのが心配でならなくなるのである。
 私の心配なぞはむしろ逆だ。この頃は、我々のような一般人でも、きちんとした医療が受けられるので、それなりに天寿を全うできるようになったが、長生きしすぎて、収入も生活能力もないのに死ねないで、他人に好いようにされる不安の方が大きいぐらいである。(^o^)わははは・・・

 人が寿命を全うして死ぬ原因は、いろいろな表現がされるが、要するに多臓器不全である。身体の部品が次々使用不能になっていって、生存のバランスが取れなくなり、最後は手が打てなくなる訳だ。まだ人間の力では全ての臓器を永続的に長らえることが出来ないのである。

 臓器がダメになる原因は、細胞分裂の限界がプログラムされているからだと言われている。つまり破壊タイマーが発動して死に至る訳ですが、この限界を払拭して、癌細胞のように、常に若々しい細胞が無限に復活してくれば、人は死ななくなるかも知れない。

 また、人間の身体は同じものがそこに存在しているように見えて、実は常に新陳代謝で入れ替わっていますから、一年経った貴方は全く物質的には別物になっている訳です。しかし意識だけは受け継がれて残っている、それが生きていると言うことです。ですから意識だけを他の生命体の上にコピーしていけば、これもまた永遠の生命と言えるかもしれません。(^o^)わははは・・・

 不老不死には、この二つの方法がありそうです。貴方が不老不死を手に入れたいと望むならば、将来的には全く不可能では無さそうです。

 しかし、個人の願望を離れてみると、問題はそう簡単ではありません。
 生命の本質は生きていくことですが、それは死ぬことによって保証されていると言えるのではないでしょうか。生命の発展は代替わりによって保証されています。貴方が死んで次世代の人間が誕生することで、生命は変化に対応し、過去のしがらみを振り捨てて、新たに全力で生きていけるのです。貴方が死ぬ運命になければ人類の発展はあり得ません。

 目を生物全体に広げると、全ての生命は死なないように生きていますが、死を恐れてはいないようです。餌を摂り子孫を残して生きるためには、死を恐れない必要があるのです。人間だけが、死を恐れています。それは人間に「自分だけはという自我の欲」があるからです。「世界が平和でありますように」というのも、結局は、そうあるべきだという「個人の欲」なのです。人間は今自分が持っているもの、「自分の意識」というものを絶対化します。人類の永続でなく、個人の永続を願うので、死を恐れるのです。

 不老不死の実現は、例えば、スペアの人体に意識をコピーすることで可能になるかも知れませんが、それは核爆弾以上の人類の危機的科学技術の進歩になるでしょう。
 なぜなら、人間の最も醜いところ「自己愛」「自我の欲」が蔓延する社会となり、人が死なないことで人口も爆発的に増えるかも知れません。そして自分のこれまで宿ってきた身体を「殺す」決断をすることも必要なのです。他人の美しいボディが欲しくなることもあるでしょう。他人に対する「恨み」や「そねみ」も消えることはありません。自分も他人も消滅しないのです。

 不老不死は、可能だと思うけれど、人間の心を救う何かがきちんと定着しないと、それはそれで地獄の社会のようです。
 まあ、そう考えると、適当に死が廻ってきて、恨みっこ無しでチャラになるそういう人生もまた、よく考えられたものだと思わざるを得ないのでしょう。(^o^)わははは・・・
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