瓢鯰亭日乗

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ボールペンの歴史と進歩 2

 私がもっぱらボールペンを利用するようになった理由は、多色ペンが利用できるからである。
 常に手帳を持ち、いろいろ記入するようになって、目印のために文字色を変えたり、緑の罫線で仕切ったり、赤のアンダーラインを引いたりすることが非常に便利だと思うようになった。これは万年筆にはまねの出来ない技だ。
tombowR4001.jpg
 写真は、よく使っているトンボのリポーター4という4色ペンである。以前紹介したことのあるコンパクトタイプより先端部分のパーツが長く、インクの入っている長さが倍ほどある芯が使える標準型のほうだ。

 さて、前回はボールペン創世記の話をしたが、この時点ではボールペンは万年筆を改良して、それに匹敵する高級筆記具として作られた物であった。しかし、日本でボールペンが作られ始めて、工業製品として安価で便利な日用品になってゆく。その先駆けとも言える物が、1949年発売の「AUTO」の鉛筆型ボールペンだ。

 鉛筆の黒鉛の芯の変えて、ボールペンの芯を取り付けたボールペンは、鉛筆に代わる経済的な筆記具として、世界の事務用品の世界に浸透していく。なにしろコピー機の無かった時代には、ボールペンとカーボン紙を使って、複写を取るのが同じ書類を作る一般的な方法になったのだから、ボールペン無しでは、伝票一枚切れない。(^o^)わははは・・・

 この鉛筆型ボールペンを作ったのは中田籐三郎という人で、中田機化工業という会社である。工場は東中野の小滝橋のたもとにあった。 (参考 今昔物語 第20回 ボールペン発祥の地)

 「AUTO」は私も懐かしいブランドだが、今はもう無い。なんとローマ字読みの「OHTO」になっているのだ。多分トリオがケンウッドにナショナルがパナソニックになったのと同じく。海外では商標登録の関係で、「AUTO」が使えなかったのであろう。そしてこれは、書類作りでは散々お世話になった「ガチャック」でおなじみの会社だっのだ。同じ会社とは「知~らなかった」である。(^^ゞ

 さて、前回紹介した、木軸ボールペン、この鉛筆型ボールペンにそっくりだと思われなかっただろうか。実はこれはオートが作って提供した物らしい。「SLIP-ON」だけでなく「PENCO」や「デルフォニクス」などのブランドにもほぼ同じ物があり、「オート」ブランドのものが一番安い。(^o^)わははは・・・
 実は、オートは世界の文具雑貨メーカーにボールペンを提供している黒子的存在の会社らしいのだ。

 話がそれた。(^o^)わははは・・・
 ボールペンの製造が始まって、十年経たない1950年代に入ると、ボールペンの技術的問題はほとんど解消し、1960年代には、鉛筆に代わる筆記具として、家庭にも浸透している。
 1967年ゼブラの透明軸クリスタルの「ミエル ミエル」のテレビコマーシャルや、1969年の三菱のまっくろけ節を使った「これでも30円~♪ まっくろけのけ」などは懐かしい。

>>ボールペンの歴史と進歩    
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