早くも秋深し。 のらりくらりの毎日ですが元気にがんばっております。(^^ゞ
危険な石原「天罰」発言 
2011年04月10日 (日) | 編集 |
 今日は都知事選の投票日である。このところ早寝早起きを心がけているので、朝一番仕事として投票に行ってきた。そして朝から腹を立てている。(^o^)わははは・・・。腹が立つと肩も凝る。健康に悪い。(^^ゞ
 なぜ、腹が立つかといえば、石原慎太郎がのうのうと選挙に出ていることである。
 つい最近の事例を見ても、津波は「天罰」だといったり、福島県の知事に会った後で「私は今も原発推進論者です」と言ったりしている。自分に対する反省という物が全くない人だと思う。
 石原は、もうすぐ80歳になる。目はショボショボしているし、発言には論理性がない。今回は後継者を立てようとしたが、後継者に支持組織の賛成が得られず。自分が否定されるのがいやで、老いの一徹・沽券で立候補しているらしい。
 週に2回ぐらいしか知事室には出てこないようだし、政治のほとんどは取り巻きに任せているのだろう。

 石原の天罰発言は根が深い。被災者への冒涜という視点での批判が多いが、彼の発言の趣旨は、独裁政治の渇望なのだ。彼は批判されることが嫌いだ。多くの人から自分が批判されることを嫌い、好きなようにさせて欲しいと思っている。
 彼の天罰発言は、こうなっている。、「我欲で縛られた政治もポピュリズムでやっている。それを一気に押し流す。津波をうまく利用して、我欲をやっぱり一回洗い落とす必要がある。積年にたまった日本人のあかをね。やっぱり天罰だと思う。被災者の方々はかわいそうですよ」
 つまり「津波を利用して、自分勝手な連中を、一掃するのだ」と言っているのである。

 後から、被災者のためとか、我々には反省が必要なんだとか、付け加えているが、本当の趣旨は、自分の政治信条が押し通せる社会を作りたいというのである。
 典型的な右翼であり、短気な老害である。

 いまや彼の言うことを聞く人は、彼の取り巻きにも少なくなっているのだろう。表面上はしたがっているが、彼の思いどおりにはさせないのだ。彼はすでに担がれた御輿に乗せられた人なのである。だが、彼は御輿から降りようとはしない。我欲を通すために、この御輿に乗り続けようとしているのだ。

 そんな哀れな石原慎太郎に付き合わされている我々都民こそ哀れである。

 私の行った投票所は、平和の森小学校と名前が変わっていた。地域の名前を冠した野方とか沼袋という小学校は統廃合により三月末で無くなったのだ。小学校も役所の出張所も無くなっていく。地域の活性化と口先では言っているが、やることは全く反対の政治が続いている。この流れを変えるには、主張していることを本気でやる政治家が必要だ。天災でも選挙でも、自分の都合の良いように利用して、後は世の中の流れに流されていく様な政治屋はもうまっひらなのである。

 石原のような、災厄を原罪のように捉えて、罪人は正義に従えと言う意見は、関東大震災の後にもあった。それが活発になっていた大正デモクラシーを押さえ込み、天皇制の下、昭和の大不況を経て、中国侵略・第二次世界大戦へとの破滅の布石になった観もある。第二次大戦後の一億総懺悔も、同様の動きであろう。
 それまで、政治を押さえていた勢力が、大災厄をチャンスに民衆の意見を押さえこんで、独裁体制の確立を目指す。それは最も危険な思想なのだ・・・。ふう~肩が凝る。
(V)。y。(V) フォッフォッフォッ・・・
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