森将軍塚古墳@長野

 森将軍塚古墳は長野県千曲市にある長野県最大の古墳である。もう20年近く前のことになると思うが、新聞紙上で見かけてから、一度行きたいと思っていた。
 奈良や大阪の古墳は、古墳本来の形状ではない。古代天皇の墓と考えられることから、江戸時代末期に幕府によって「天皇崇拝」の姿勢を示すために、当時の美意識で形状が整えられ、明治になってからは国家神道推進のために「御神体的管理」がされてきた。
 考古学者の立ち入りは拒まれ、自由な研究はできないのである。

 しかし、ここ長野のような場所の古墳は天皇の古墳ではないので、余計な気を使うことなく、史実に基づいた研究も復元作業もできるのである。このあたりの古墳は将軍塚と呼ばれている。将軍塚というのは、当時の国の支配者の墓という意味であろう。国王と言う名前を遠慮した名称だ。(^o^)わははは・・・
 これが、平成4年に完成した森将軍塚古墳である。
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森将軍塚古墳の全景、後方は善光寺平

 全長100mの前方後円墳で、全面葺石で葺かれている。領土を見下ろす小高い尾根の上に設置され、長野市街が一望できる。少し高い後円部に石室があり墓になっている。
 歴史や文化は進歩すると思われているが、個々の文化を見ればそうではない。古墳も古墳時代前期の方が後期よりも巨大で石で葺かれて立派である。後期になると小さくなり土饅頭のようになるのだ。
 文化はある時、熱中的に進化するらしい。成熟期にはいると繊細ではあるが、ひとを驚かすような物ではなくなる。
 森将軍塚も、奈良や大阪の政権による巨大古墳の流行に対し、「こっちの方が優れているぞ」と言うことを証明するような意識を持って作られたのではないだろうか。

 塚の上に立って、良い気持ちになった後は、しなの鉄道屋代駅に向かって歩いた。駅の観光案内所では教えてくれなかったので、行きはタクシー1010円で麓の資料館まで来たのだが、駅へ直通で通じる道の見当は付いていた。下り道の途中から、丸いタンクの有る一里山の鞍部を通って、満照寺の墓地まで、平坦な道が続いている。墓地からは急坂を下れば駅の裏である。下ってみると下の入口は墓地の専用通路で鉄扉もあった。これでは観光案内所では教えてくれないはずだ。(^o^)わははは・・・

 後日のための案内地図
しなの鉄道 屋代駅から森将軍塚古墳への道
★右下が森将軍塚古墳 右上に森将軍塚古墳古墳館 左端にしなの鉄道屋代駅
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