談山神社@奈良

 聖林寺をあとに、談山神社へ向かう。少し戻ると、桜井駅から談山神社行きのバス停留所がある。
 談山神社(たんざんじんじゃ)は大化の改新の立役者である藤原鎌足の墓であり、以前は多武峯(とおのみね)というお寺だった。しかし藤原鎌足が神として祭られているので、明治の神仏分離で山上の塔頭は全て神社になってしまったのである。しかし、私が学生の頃は地名としては多武峯のほうがとおりが良かった。

 この神社で知られているのは、鎌足の墓でもある十三重の塔である。

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談山神社の十三重塔

 神社(寺院)としても、歴史が古いので、大規模な建物が多く、見所がある。この談山神社という名前は、もとは「かたらい山」といって、中臣鎌足と中大兄皇子が蘇我入鹿暗殺と大化の改新の談合をしたことに由来する。暗殺の現場となった飛鳥板蓋宮から2時間ほどで歩くことができ、私の学生時代はそちらの方がメインのアプローチであった。鎌足等はこの山中に立派な学者がいたので、勉強に行くと称して、この山中で謀議をめぐらしたらしい。

 歴史は勝った者が記録するから、蘇我入鹿は悪者で鎌足は天皇を敬う忠義者ということになるが、この事件の本質は日本と縁が深かく渡来人の多かった朝鮮の百済と結んで朝鮮に利権を持とうとする一派が、隋に変わって中国に成立した強国唐との関係を深めようとし滅び行く百済を見捨てようとした蘇我入鹿を謀殺したという、当時の外交問題を巡る軍事クーデターではないかと思う。(^o^)わははは・・・

 中大兄皇子は大化の改新(645)のあと、百済との関係を強めるために、大阪の浪速宮へ遷都(645)するが、白村江(663)で大敗して逃げ帰り、百済は滅亡した。その後、唐と新羅の侵攻に備えて、内陸奥深くの大津宮へ遷都(667)して、守りの外交に大転換しているので、日本の外交選択としては歴史的な大失敗だったのであろう。
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