早くも秋深し。 のらりくらりの毎日ですが元気にがんばっております。(^^ゞ
岩櫃山@上州 
2013年08月28日 (水) | 編集 |
 涼しくなり、天気も良くなったので、昨日は運動不足解消のため吾妻渓谷(あがつまけいこく)と岩櫃山(いわびつやま)へ行ってきた。久しぶりに3万歩もあるいたので、腿が痛い。(^o^)わははは・・・
 岩櫃山は、中之条から草津方面に少し行ったところにある。山頂の廻りは高い断崖絶壁に囲われ、尾根からぬきんでているので、小さな山で高くはないが登ってみたいと思わせる山である。

岩櫃山の勇姿

 岩櫃山へは、JR吾妻線の郷原駅から登った。駅を出たのは、吾妻渓谷散策のあとだったので、もう午後1時半であった。調査も十分ではなかったので、駅から出たところにあった登山口の矢印に導かれて、断崖直下へと向かう。最後の集落に下の写真のコース案内の看板があり、ここが密岩通りと赤岩通りの二コースの分岐点になっていた。山頂西側からの密岩コースは岩峯縦断コースらしく、中上級者向きと書いてあるし、本日は登山の用意も簡易なので、崖下の樹林帯から東の尾根に急登して、山頂東側からの一般登山道に合流する赤岩コースを選択した。(^^ゞ
 櫃(ひつ)というのは、蓋付きの箱のことで、昔の人が背負っていた足つきの衣装箱である。棺(ひつぎ)や飯びつも同義である。山頂の岩場を箱に見立てたのであろう。岩場の裏側に来てみると、垂直の岩には、たくさんの浸食による隙間があり、この割れ目のような狭い隙間から岩櫃の中に入り、奥へ詰めながら、上へ上へと岩場を上がっていく。岩場には鎖やハシゴが整備されているので、それほど苦労はしなかった。しかし、頂上などは垂直の10m以上ある独立した岩頭であり、頂上でカメラを構えるのは少々恐ろしい。(^o^)わははは・・・
 3時登頂完了 802.6m。天気晴朗、四方の絶景を堪能できた。

 下りは、元来た道を戻って、途中から峯通りコースという尾根伝いの道で、岩櫃山城址をめざす。
 岩櫃城は、戦国武将真田氏の城で、甲斐の武田信玄が小田原の北条氏と関東の覇権を争っていた時の最前線の城で難攻不落の名城と言われた。しかし、徳川家康の天下統一で、城は一国一城のみと定められたので、軍事拠点のここ岩櫃城は解体廃棄されたのである。
 歩いてみると、その規模は想像以上で、中腹から東につながる尾根全体が巨大な山城だったらしい。上半分の軍事的要塞部分を抜けたところに、登山者のための立派な休息所があり、ここまでは車で入れる。ここから、沢伝いに山頂へ向かうのが、一般のコースらしい。休息所には、パンフレットやA1サイズの詳細な岩櫃城の縄張図が無償でおかれていた。休息所には4時半到着。

 岩櫃山現地案内図
岩櫃山案内図

 ここから、家臣団の居住区と思われる地区を抜けると、尾根上の発電用貯水池の脇に東木戸跡があり、ここから尾根を下ってゆく。JRの線路を渡って幹線道路に出たところが大戸口という交差点となっていた。
 ここから、群馬原町駅まで、徒歩10分。駅到着は5時15分であった。

 駅の近くには、お城を模した町営の温泉センターがあるのだが、本日は月に一度の定休日である。(ToT) 次の上り電車は57分発。駅前商店街で唯一開いていたのが肉屋で、揚げたてのメンチとコロッケが山盛りになっていたので、1個ずつ所望すると、ソースをかけて竹串を一本刺してくれた。(^o^)わははは・・・幸せである。

 高崎からは、湘南新宿ラインで、新宿帰着9時であった。
 久しぶりの強行軍で、下り坂では、膝裏の筋肉が馬鹿になってしまって、ブレーキがかからない状態で、暴走してしまったが、これで身体のスイッチが小太りコースから、ダウンサイジング・コースに切り替わるだろうと期待している。この夏は3kgほど増えてしまったのだ。(^^ゞ
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