清少納言の大喜利 (枕草子 書名の由来)

 このデジタルの時代に、多くの人が紙の手帳をつけるのは何故だろうか。それは自分の日々の暮らしの跡が紙の手帳には残るからだと思う。「ほぼ日手帳」の使い方などを見ると、映画の半券を貼り込んだり、生活のスケッチをしたり、忘れてしまうようなことだけれども、自分の記憶に残したいという努力がされているのが伝わってくる。
 作り手の糸井重里も、ある年の正月に残り物でお茶漬けを作って食ったら信じられないほど美味かった。このことは、すっかり忘れていたけれど、ある時手帳を見て思いだした。それいらいこのシーンは僕の人生の宝物になったと、言っている。

 この手の手帳のつけ方の先達は、清少納言の枕草子だと思う。具注歴に書かれた藤原道長の御堂関白日記と期せずして同時代と言うことになる。

 枕草子は、全体を通した構想はなく、断片的なエッセイ集と言うことになっているが、これは日々のメモ帳だからである。枕草子の最終段に書名のいわれと思われる後書きがあるが、これによれば、「この冊子は人が見ない事を前提に、朝廷のお仕事が休みで、自宅に戻ってくつろいだ時に書きためて、言い過ぎもあって人様のご迷惑になるので、隠して置いた物なのに、ひょんな事から人目に触れるようになってしまって、出来の善し悪しについて、あれこれ言われるだろう事が、ただただ悔しいよ。」と有る。(^o^)わははは・・・

 このくだりを読んで、歴史にある彼女の境遇を考えると、枕草子が明け透けに自己肯定的で、明るい笑いに満ちている理由がよく判る。
 当時清少納言の仕えていた中宮定子は、藤原道長の娘の彰子と天皇を巡って一帝二后のライバル関係にあったが、勢いのある道長・彰子派に対し、定子派は後ろ盾の有力者を既に亡くしていた。劣勢の宮中の力関係の中で、定子派サロンのリーダーである清少納言は、サロンにまつわる文化的で面白い話をあれこれ書いては、若い定子とそれを支える女子会に回覧して、彼女らを精神的に励ましていたのではないだろうか。この冊子は彼女らのプライドを示すものだったのだ。


 さて、この最終段に用意されたエピソードが面白い。

 『内大臣が貴重品の紙を献上したので、中宮様が「これに何を書けばよいだろうか、天皇様は史記を書かれているそうだ。」とおっしゃったので、「それならでございましょう。」と申し上げたら、「いいね!この紙はお前が得ておきなさい。」とおっしゃって大量の紙を私にくださった。この紙を全て書き尽くそうとしたので、訳のわからぬ話が多いのだよ。』とある。

 お判りになっただろうか。(^o^)b たぶん日本最古の大喜利の場面である。
 というのは、中国の歴史書「史記」を「敷」、つまり「寝具(敷き布団)」と捉えて見せたのだ。で、「男が敷き布団なら、女は枕でしょ。」と意味深に答えたわけである。それで、大受けをして、座布団代わりに紙を頂戴したと言うわけだ。(^o^)わははは・・・
 ちなみに、「しきたえの」は枕や黒髪にかかる枕詞で、男女の睦ごとを示唆する言葉である。

 この最終段のエピソードから、この冊子は、のちに枕草子の名で呼ばれることになったのである。

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