頼久寺庭園@備中高梁

 今回の岡山旅行の目的は、備中高梁の頼久寺を尋ねることでした。頼久寺庭園は小堀遠州の初期の作庭で小規模ながら優れた作品なのです。
 小堀遠州は、作庭・茶道・華道・土木・建築にすぐれた作品を多く残し、のちの時代に多くの影響を残した当時のマルチタレントで、それまでの文化的な流れが、一時この人に収れんし、江戸時代に花開いたという気がする。
 小堀遠州は名前を政一といい、近江の浅井の家臣であった。のち信長・秀吉・家康に仕え、その下で千利休から古田織部まで、多くの茶人や文化人と付き合い教えを受けた。
 秀吉亡き後、父と共に家康に仕え、関ケ原の合戦の恩賞として、小堀家はここ備中高梁の松山城で一万四千石の城番となる。政一は父の死後2代目藩主となった。
 しかし、当時の松山城は戦で荒廃しており、遠州はここ頼久寺で政務をとっていたと言われ、この寺に庭園が残されることになったらしい。

 頼久寺庭園は小規模な庭園であるが、特筆すべきは正面の鶴島亀島を配した庭ではなくて、書院から見て左の山の斜面に作られた、海を表現したといわれる大刈込である。大刈込によるボリューム感のある空間表現は江戸時代の庭園に現れる新しい特徴的な表現である。
頼久寺庭園の大刈込

 遠州はこののち駿府城の普請奉行でそのマルチな才能を認められ、この地を離れて古巣の近江へ新たな城を得て移ったが、藩の城主というより、京都を中心に今でいうイベントクリエイターやプロデューサーとしての仕事をしていくことになる。
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