暑くなってきましたね。 のらりくらりの毎日ですが元気にがんばっております。(^^ゞ
備中松山城@高梁市
2014年07月23日 (水) "
 岡山県高梁市に来れば、もう一件ぜひ見たいものがある。日本に唯一、江戸初期の山城が当時の天守閣を含めて現存する備中松山城である。
 日本に天守閣に相当する建築物が今も残されている城郭は12城しかないが、戦国時代の雰囲気を残す山城はここ一か所である。
 頼久寺庭園から、北へ歩くと山裾に出る。突き当りが御根小屋と呼ばれた場所で、そこから山道を40分登る。
備中松山城は尾根の上の山城 備中松山城はかって大松山と呼ばれた臥牛山の尾根上の岩場に築かれ、標高は430mである。
 急峻な岩場の上に石垣を組みその上に土塀を築いて、堅固な守りの城としている。戦国時代には大松山全体に広大な陣を敷き、毛利氏の足元で織田方に寝返ったりして、騒動の中心に成ったりもした。
 現存の城は、関ケ原後にまず小堀遠州が修復し、1600年代後期 には現在の天守閣等も完成していたらしい。
 関ケ原で敗軍の総大将となり、山口県の長州藩に減封された外様大名の毛利氏ににらみを利かせ天領倉敷の北方を固める徳川の前線基地だったのである。
 赤穂藩の大石内蔵助は浅野家がおとりつぶしになる前に、ここで他家のおとりつぶしの城受け取り役をして(1694)、一年間ここの城番を務めている。だからおとりつぶしには詳しかった。(^o^)わははは…
 この山城はあくまでも軍事拠点だったから、普段の生活には不向きだったので、現在学校となっているふもとの御根小屋と言うのが、実質的な本丸御殿で、政務はこちらで行われていたようだ。この尾根筋には2つの太鼓櫓があり、上下の通信回線として太鼓が機能していたらしい。
 現存する天守閣は小振りの2層で、建物としてはもっとも小さく低い天守閣であろう。しかし、何といっても本物である。鉄筋コンクリートの岡山城では、エレベーターで登城しても、見る物もないが、ここでは戦国武者の気分が味わえる。
 実は、この城が現在まで残されたのは、立地があまりにも不便で建築資材取りにも使えず、明治以降放置され、廃墟になっていたからだそうである。(^^ゞ
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