早くも秋深し。 のらりくらりの毎日ですが元気にがんばっております。(^^ゞ
日本人と宗教 
2015年04月18日 (土) | 編集 |
 日本人は、宗教的に見るとちょっと特殊な民族だと思う。世界的に見れば、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の根っこの同じ一神教が支配的で、これ等を信じる人々は、生き方や道徳律など、生活の根源的なところで、宗教に思想的基盤を持っているから、日本人が自分の信じる宗教について明確な信徒意識も、忠誠心も持っていないと知ると、驚愕する。
 「それでは、あなたは何に基づいて善悪の判断をしているのか」という疑問を持つわけだ。

 しかし日本人が、西洋でいう反キリスト的な、信念のある無神論かと言えばそうでは無い。何かと言えば日常的に神様に頼っているし、迷信やスピリチュアルなことにも興味津々である。生き方や道徳律なども根拠が明確ではないものの、ちゃんと持っているし、むしろ秩序を守ることについては世界でもトップクラスだろう。

 日本人は、自分の宗教心を意識していないという世界でも稀な民族なのである。いったい、なぜこのような宗教観になったのだろうか。実は日本人は幾度となく信ずる宗教を否定されてきたから信心不信なのではないだろうか。政変のたびにそれまでの信心は崩壊した。だから心底から信じる事が無くなったというのが正直なところではないだろうか。

 一番最近の否定された宗教は「国家神道」、簡単に言えば「天皇教」である。(^o^)わははは…
 神様に祭り上げられていた統治神(スメラミコト)が実は人間だった。しかも、人のよさそうな小さなおじちゃんだったのである。

 今から見れば、天皇教は明治維新政府によってでっち上げられた新興宗教だったのである。新政府によって、各地に存続していた神々、郷土に土着した産土神(うぶすながみ)・血族を守る氏神(うじがみ)・施設を守る鎮守(ちんじゅ)等々が、その歴史や地域に根付く伝統をはく奪されて、天皇起源の国家神道に統一された。神社は国の管理下となり、神社を管理してきた家系は神官を廃絶させられて、任命される公務員となった。

 この過程では、聖徳太子以来の歴史ある仏教は他国から来た邪教とされ、廃仏毀釈で多くの寺院が失われた。火葬は仏教の習慣だからと禁止され、土葬が復活した。しかし神道は穢れを嫌って、葬儀のマニュアルを持っていなかったので、社会は大いに混乱したのである。(^^ゞ このように明治維新でもそれまでの宗教が否定され、改変されている。

 江戸時代は、仏教の時代のように見えるが、実は戦国時代の各宗教は弾圧され、教義や組織を幕府の都合に会うようにつくりかえられている。弾圧されたのはキリスト教だけではないのである。日蓮宗では主流であった不授不施派が壊滅させられて、授派のみが許された。幕府権力よりも宗教的指導者を上位とする宗派は存続を許されなかったのである。
 この宗教政策は、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康と引き継がれて完成されたものらしく、彼らの天下統一は、平城京以来政治を支配してきた仏教勢力を力づくでねじ伏せることによって成就したらしい。

 つまり、宗教的信心は、歴史的に何度も潰されてきたので、日本人の宗教観はちょっと冷めた見方になるのである。(^o^)わははは…
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