暑くなってきましたね。 のらりくらりの毎日ですが元気にがんばっております。(^^ゞ
もっと直感を大切に
2015年09月12日 (土) .
 直感とか第六感とかいう物は、社会的には価値が認められていない。テレビのクイズで答えの理由を求められると「直感です!」と言うタレントは多いが、要するに「判んないですよ!(笑)」と意味を理解している人が多いだろう。
 直感は、個人的な感覚で、理屈も無ければ、説明もできないと言う訳である。だから社会的で大事な決定では、直感はタブーという事になるのだが、実は個人の決定では、直感は最も頻繁で大事な決定手段である。(^o^)わははは… 
 全ての決定に科学的で説明の出来る判断をすることは難しい。そもそも必須のデーターが無い状態で判断を迫られることが多いのだ。結婚などの重要な問題でも、「ピンと来たのよね。」が実際の理由の人は多いだろう。

 直感とか第六感は、定義すれば「科学的な検証を経ずして、ほぼ正解を導く能力」と言える。なぜ、正解にたどり着けるのか。それは正解にたどり着いたものが、生き残って来たからとしか言いようがない。直感の原点は危険を察知して逃げ出すことである。直感の優れたものが生き残って来たのである。人間の欠点は無駄に考えることだと書いたことがあったが、ストレス社会で鬱病が多くなるのは、自分の嫌な場所から逃げ出せず考え込んで、ストレスれを溜め込んでしまうことにある。生き残るには直感に従うことだ。(^^ゞ

 もう少し対象を広げた様々な直観とか第六感は大切な人の死を予感したり、突然運命を感じたりする例が良く取り上げられる。私はインスピレーションや天啓を受けるというようなことも直感だと思う。このような直感は本当にあるだろうか。
 直感をもたらすものは、蓄積された経験と無意識下で収集された情報なのだろう。人間の考えは脳の活動だが、自分の意識はその活動の一部でしかない。脳は人間の意識しているより、はるかに多くの情報を外界から得ているらしいのだ。例えば人間は物を見るとき対象を凝視しているつもりでも、視点は落ち着きなく移動し、対象の色々な情報を拾っている。しかし個人の意識に残るのは自分の必要としているところだけだ。だから使われない膨大な情報が意識外にあることになる。
 人間が必死で解決を求める時、この利用されなかった情報が脳内に突然戻ってきて、我々に結論を出させるようだ。こういう時は自分以外の考えが自分の中に生じる。これを虫の知らせとか、神のお告げという形で、我々は認識するのである。
 普段、普通の人間は言語を利用してものを考えているが、深い所ではイメージで残っているらしい。だから直感はイメージで出現することが多い。夢として出てくることも多いのだ。

 それでは、直感力を高めるためにはどうすればよいのか、それは、直感を信じて使おうとし、可能性を追求することである。必死にならなければ脳はデーターを放出しない。

 逆に直感を鈍らすものは何か。それは、事実を認めても従わない自己欺瞞の態度である。欲や盲信や自己免罪は、素直な直観を否定する働きを持つ。常識や人目を優先する態度や事態の軽視も、直感が働く妨げとなるだろう。

 直感で得た解決法は誰にでも当てはまるものではない。個人の経験や事例がベースだからだ。例えば医学的に10%しか良い結果が出なくて、医者が見捨てた方法でも、その10%の人にとっては100%である。例えそれがプラシーボ効果と言われる物であってもよいではないか、自分がその10%であることを知覚できるのが直感なのであり、個人的正解への道なのだ。

 一方で、直感は仮説の提起でもある。万人に通じる偉大な発明・発見は直観によって得られる。アルキメデスが「ユーレイカ」と叫んで風呂から飛び出したままで街中をはしゃぎまわったのも、直観により問題解決の方法を見出したゆえのうれしさである。こういう話は事例に事欠かない。偉大なブレイクスルーは直観によって得られるのである。 

 現代は不安の時代である。そして不安を不安として認めてしまうと、今度は社会が廻らないぞと不安をあおる人達が居る。世の中が複雑に見え、多くの人が直感で感じていることと、社会の有り様がずれているのだ。直感を素直に生かせたら、心が楽になり、この世はもっと住みやすくなる。(-人-)なぁ~無
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